精神的自由とりわけ表現の自由の優越的地位について
2017.12.28.12:10
精神的自由とりわけ表現の自由の優越的地位について
かつて、山尾志桜里議員との国会論戦の中で安倍総理が答えられなかった「精神的自由とりわけ表現の自由は何故経済的自由に対し優越的な地位にあるのか」という点について考えてみよう。
なお、この内容は、2017年10月14日にFaceBookに投稿済みのものと同じであることを予めお断りしておく。
1 問題提起
表現の自由の優越的地位について、すなわち「精神的自由とりわけ表現の自由は経済的自由に比べ優越的地位に立つ」とはどういう意味か?
2 二重の基準
これは表現の自由も決して無制約なものでなく制限されうるものであるが、その際いかなる基準により表現の自由を規制する立法が合憲となるかについての考え方に関する議論である。
表現の自由は経済的自由に比し優越的地位にある。つまり表現の自由を規制する立法は経済的自由を規制する立法よりも厳しい審査基準に置かれるべきであるということである。このような考え方を「二重の基準」という。
3 二重の基準を支える理由
では、それは何故か。二つの理由がある。
① 民主政の過程という考え方
表現の自由は民主政の過程に関わるものであるからである。すなわち、経済的自由ももちろん重要であるが、仮に経済的自由に対する過度の規制がなされても、民主政の過程が歪められていないかぎりその誤りは民主政の過程を通して是正できる。これに対し、表現の自由が一度傷つけられると、民主政の過程そのものが歪められるためその是正はもはや困難となるからである。だから、裁判所が積極的に関与して厳しい基準により表現の自由に対する規制立法を審査する必要があるのである。
② 裁判所の審査能力との関係
経済的自由の規制については、その多くは社会・経済政策的なものが多いため、それは裁判所の判断に直接的には馴染まず、立法や行政に委ねられる領域が大きい。これに対し、表現の自由を含む精神的自由の規制は社会・経済政策的な目的はほとんどないため、法的審査を担当する裁判所の審査能力に問題はないからである。
4 補足としての私見
このように、表現の自由の優越的地位を支える理由は二つあるのであるが、とりわけ①の民主政の過程との関係を理解しておくことが重要である。民主主義は基本的に尊重されるべきであるが、民主主義も時に間違いを犯す。しかし、その場合でも民主政の過程そのものが歪められていないかぎりその民主主義の誤りも是正可能であるという点において、それは自由を尊重する民主主義、つまり立憲民主主義の考えに資するものだからである。
為政者はこのことを十分に理解してその権限を行使すべきであり、表現の自由・民主政の過程を蔑ろする為政者は権力を司る資格はないものと言わざるを得ない。
以上
(参照)芦部信喜著・高橋和之補訂「憲法 第六版」193~194頁
追記
それにしても、このような憲法の重要部分、人権論のイロハさえ知らない人物が総理大臣を務め憲法「改正」という憲法破壊を主導することは極めて危険である。国民はこの異常さに早く気付かなければならない。
かつて、山尾志桜里議員との国会論戦の中で安倍総理が答えられなかった「精神的自由とりわけ表現の自由は何故経済的自由に対し優越的な地位にあるのか」という点について考えてみよう。
なお、この内容は、2017年10月14日にFaceBookに投稿済みのものと同じであることを予めお断りしておく。
1 問題提起
表現の自由の優越的地位について、すなわち「精神的自由とりわけ表現の自由は経済的自由に比べ優越的地位に立つ」とはどういう意味か?
2 二重の基準
これは表現の自由も決して無制約なものでなく制限されうるものであるが、その際いかなる基準により表現の自由を規制する立法が合憲となるかについての考え方に関する議論である。
表現の自由は経済的自由に比し優越的地位にある。つまり表現の自由を規制する立法は経済的自由を規制する立法よりも厳しい審査基準に置かれるべきであるということである。このような考え方を「二重の基準」という。
3 二重の基準を支える理由
では、それは何故か。二つの理由がある。
① 民主政の過程という考え方
表現の自由は民主政の過程に関わるものであるからである。すなわち、経済的自由ももちろん重要であるが、仮に経済的自由に対する過度の規制がなされても、民主政の過程が歪められていないかぎりその誤りは民主政の過程を通して是正できる。これに対し、表現の自由が一度傷つけられると、民主政の過程そのものが歪められるためその是正はもはや困難となるからである。だから、裁判所が積極的に関与して厳しい基準により表現の自由に対する規制立法を審査する必要があるのである。
② 裁判所の審査能力との関係
経済的自由の規制については、その多くは社会・経済政策的なものが多いため、それは裁判所の判断に直接的には馴染まず、立法や行政に委ねられる領域が大きい。これに対し、表現の自由を含む精神的自由の規制は社会・経済政策的な目的はほとんどないため、法的審査を担当する裁判所の審査能力に問題はないからである。
4 補足としての私見
このように、表現の自由の優越的地位を支える理由は二つあるのであるが、とりわけ①の民主政の過程との関係を理解しておくことが重要である。民主主義は基本的に尊重されるべきであるが、民主主義も時に間違いを犯す。しかし、その場合でも民主政の過程そのものが歪められていないかぎりその民主主義の誤りも是正可能であるという点において、それは自由を尊重する民主主義、つまり立憲民主主義の考えに資するものだからである。
為政者はこのことを十分に理解してその権限を行使すべきであり、表現の自由・民主政の過程を蔑ろする為政者は権力を司る資格はないものと言わざるを得ない。
以上
(参照)芦部信喜著・高橋和之補訂「憲法 第六版」193~194頁
追記
それにしても、このような憲法の重要部分、人権論のイロハさえ知らない人物が総理大臣を務め憲法「改正」という憲法破壊を主導することは極めて危険である。国民はこの異常さに早く気付かなければならない。
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