「憲法問題」のカテゴリを追加 第1弾は「憲法を守るということ」とは
2016.10.20.16:58
国会では「憲法調査会」が立ち上がるなど、自民党を中心として「憲法改正」問題が現実味を帯びてきた。そこで、当ブログにおいても、新たに「憲法問題」というカテゴリを立ち上げ、今後憲法について考えてみることとしたい。今回は、このカテゴリでの第1弾となる。
さて、先日、とある団体から、「憲法と特定行政書士」についての講演を頼まれたので、現在、その原稿作りを始めたところである。あれこれ思案中であり、まとまるにはしばらく時間がかかるのであるが、その作業の中で、以下の浦部法穂教授の文章を思い出したので、これをぜひ入れようかと思っている。
「ワイマール憲法」を「日本国憲法」に置き換えてみて欲しい。ワイマール憲法と今の日本国憲法の置かれた状況は非常に似かよっているといえるのではなかろうか。2005年5月発刊の書籍であるが、2016年の現在でも十分、いや当時よりさらに通用する状況になっているかも知れない。
以下、長文となるが、紹介しておきたい。
■神戸大学名誉教授浦部法穂氏著「憲法の本」 終章 「憲法を守るということ」より
「憲法を守るということ」
「1919年、第1次世界大戦に敗れたドイツでは、帝政が廃止され『ドイツ共和国』が誕生した。そのドイツ共和国の憲法が、いわゆるワイマール憲法である。ワイマール憲法は、いまでも現代的な憲法の模範例として憲法学で言及されることが多い憲法である。しかし、この模範的な憲法をもっていたドイツで、ワイマール憲法制定からわずか10年数年後の1933年に、ヒトラーが政権の座についた。ヒトラーは、決して、革命やクーデターといった暴力的な手段で政権を取ったわけではない。その率いる『国家社会主義労働者党』つまりナチス党は、国民の支持を集めて議会の多数派になり、ヒトラーが首相に任命されたのである。いわば、まったく民主的な手続きにのっとって、ヒトラーは政権を握ったわけである。ナチスの独裁体制は、まさしく、ワイマール民主主義の結果であった。もちろん、この背景には、当時のドイツがおかれた非常に厳しい状況があった。第1次世界大戦の敗戦国として、ドイツは、ヴェルサイユ条約で過酷な条件を押し付けられ、国内的にも、社会的・経済的に混乱をきわめていた。そして、1929年から30年にかけて勃発した世界大恐慌がドイツ経済を直撃し、その混乱に拍車をかけた。そのため、当時のドイツ国民のあいだには、ベルサイユ条約を押し付けた諸国に対する不満・怨念や経済的な不安が渦巻いていた。そういうなかで、ヒトラーが、ドイツ民族の優秀性やドイツにとっての正義を唱え、自分だけがドイツを再び強国にすることができると訴えかけて、国民の支持を集めていったのである。
ドイツは、一体なぜ、あの模範的な憲法をもちながら、ナチスの台頭を許してしまったのであろうか。社会的な背景があったにしても、当時のドイツ国民が、ワイマール憲法を、本当に自分たちのものとして大事にしていたならば、歴史は大きく違ったものになっていたのではなかろうか。ワイマール憲法に対して、当時の多くのドイツ国民は、役に立たないとか、そもそもドイツ的ではなくドイツにふさわしくない、という意識をもっていたといわれている。ワイマール憲法は、当時のドイツ国内や国際的な状況に大きく影響されてきた憲法であった。一方では、社会主義勢力が台頭してきており、目の前ではロシア革命が成功しようとしていた。他方では、帝政時代の権威主義的支配体制になおも親近感をもつ保守派の勢力も強かった。そういうなかで、『中道左派』連合が妥協の産物としてつくったのが、ワイマール憲法だったのである。そのため、ワイマール憲法は、当初から、左右どちらにも強力な反対派を抱えており、1920年以降は、この左右の反対派が議会の過半数を占めることとなった。実際の政治の場では、憲法は敵視されたのである。だから、国民の目に、憲法は役に立たない、ドイツ的ではない、と映るのは、当然のことであった。政治の場で憲法が敵視されるような状況、あるいは、憲法は役に立たないという意識を国民がもっているような状況、そういうもとでの民主主義というものはきわめて危うく脆いものだということを、このワイマール憲法の歴史は教えてくれている。
ワイマール体制がナチスの独裁体制に移っていったこの過程は、いまの日本国憲法が置かれている状況に、なにやら非常によく似かよってはいないだろうか。《民主主義だから大丈夫、まさかファシズムの再来なんてありえない》と高をくくっていると、知らない間に気がついたらファシズム体制になっていた、『民主主義が民主主義を滅ぼす』結果になっていた、ということにもなりかねないのである。そいういうことにならないためには、なによりも、一人ひとりが憲法の意味を正しくとらえ、それを自分たちのものとして、憲法を無視したり敵視したりするような政治を拒否する姿勢を貫くことが、必要であろう。」
(浦部法穂著「憲法の本」(2005年5月25日)共栄書房・「終章」 177頁~179頁)
さて、先日、とある団体から、「憲法と特定行政書士」についての講演を頼まれたので、現在、その原稿作りを始めたところである。あれこれ思案中であり、まとまるにはしばらく時間がかかるのであるが、その作業の中で、以下の浦部法穂教授の文章を思い出したので、これをぜひ入れようかと思っている。
「ワイマール憲法」を「日本国憲法」に置き換えてみて欲しい。ワイマール憲法と今の日本国憲法の置かれた状況は非常に似かよっているといえるのではなかろうか。2005年5月発刊の書籍であるが、2016年の現在でも十分、いや当時よりさらに通用する状況になっているかも知れない。
以下、長文となるが、紹介しておきたい。
■神戸大学名誉教授浦部法穂氏著「憲法の本」 終章 「憲法を守るということ」より
「憲法を守るということ」
「1919年、第1次世界大戦に敗れたドイツでは、帝政が廃止され『ドイツ共和国』が誕生した。そのドイツ共和国の憲法が、いわゆるワイマール憲法である。ワイマール憲法は、いまでも現代的な憲法の模範例として憲法学で言及されることが多い憲法である。しかし、この模範的な憲法をもっていたドイツで、ワイマール憲法制定からわずか10年数年後の1933年に、ヒトラーが政権の座についた。ヒトラーは、決して、革命やクーデターといった暴力的な手段で政権を取ったわけではない。その率いる『国家社会主義労働者党』つまりナチス党は、国民の支持を集めて議会の多数派になり、ヒトラーが首相に任命されたのである。いわば、まったく民主的な手続きにのっとって、ヒトラーは政権を握ったわけである。ナチスの独裁体制は、まさしく、ワイマール民主主義の結果であった。もちろん、この背景には、当時のドイツがおかれた非常に厳しい状況があった。第1次世界大戦の敗戦国として、ドイツは、ヴェルサイユ条約で過酷な条件を押し付けられ、国内的にも、社会的・経済的に混乱をきわめていた。そして、1929年から30年にかけて勃発した世界大恐慌がドイツ経済を直撃し、その混乱に拍車をかけた。そのため、当時のドイツ国民のあいだには、ベルサイユ条約を押し付けた諸国に対する不満・怨念や経済的な不安が渦巻いていた。そういうなかで、ヒトラーが、ドイツ民族の優秀性やドイツにとっての正義を唱え、自分だけがドイツを再び強国にすることができると訴えかけて、国民の支持を集めていったのである。
ドイツは、一体なぜ、あの模範的な憲法をもちながら、ナチスの台頭を許してしまったのであろうか。社会的な背景があったにしても、当時のドイツ国民が、ワイマール憲法を、本当に自分たちのものとして大事にしていたならば、歴史は大きく違ったものになっていたのではなかろうか。ワイマール憲法に対して、当時の多くのドイツ国民は、役に立たないとか、そもそもドイツ的ではなくドイツにふさわしくない、という意識をもっていたといわれている。ワイマール憲法は、当時のドイツ国内や国際的な状況に大きく影響されてきた憲法であった。一方では、社会主義勢力が台頭してきており、目の前ではロシア革命が成功しようとしていた。他方では、帝政時代の権威主義的支配体制になおも親近感をもつ保守派の勢力も強かった。そういうなかで、『中道左派』連合が妥協の産物としてつくったのが、ワイマール憲法だったのである。そのため、ワイマール憲法は、当初から、左右どちらにも強力な反対派を抱えており、1920年以降は、この左右の反対派が議会の過半数を占めることとなった。実際の政治の場では、憲法は敵視されたのである。だから、国民の目に、憲法は役に立たない、ドイツ的ではない、と映るのは、当然のことであった。政治の場で憲法が敵視されるような状況、あるいは、憲法は役に立たないという意識を国民がもっているような状況、そういうもとでの民主主義というものはきわめて危うく脆いものだということを、このワイマール憲法の歴史は教えてくれている。
ワイマール体制がナチスの独裁体制に移っていったこの過程は、いまの日本国憲法が置かれている状況に、なにやら非常によく似かよってはいないだろうか。《民主主義だから大丈夫、まさかファシズムの再来なんてありえない》と高をくくっていると、知らない間に気がついたらファシズム体制になっていた、『民主主義が民主主義を滅ぼす』結果になっていた、ということにもなりかねないのである。そいういうことにならないためには、なによりも、一人ひとりが憲法の意味を正しくとらえ、それを自分たちのものとして、憲法を無視したり敵視したりするような政治を拒否する姿勢を貫くことが、必要であろう。」
(浦部法穂著「憲法の本」(2005年5月25日)共栄書房・「終章」 177頁~179頁)
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