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天皇の生前退位は認めるべきか

2016.12.11.11:41

天皇の生前退位について(2016年12月11日記)

 2016年8月の天皇の「お気持ち表明」を受けて、現在、天皇の生前退位について議論がされている。そこで、当ブログでも、主に清宮四郎著「憲法Ⅰ[第三版]」の記述を参考に論点を整理してみようと思う。

1 まず「皇位の継承」とは何か
  それは、一定の原因にもとづき、一定の人が、皇位に即くことをいうとされている。現在では、「一定の原因」とは天皇の崩御のことであり、「一定の人」とは皇統に属する皇嗣をいう。

2 次に、皇位継承の原因は何か
  この点について憲法は、「皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」(第2条)と規定するのみで、その原因を明らかにしていない。この皇位継承の原因を規定するのが皇室典範である。皇室典範第4条によれば、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」と規定している。いわゆる天皇崩御である。「崩御」とは、天皇等の死去を敬って言う言葉であるから、皇位継承の原因は天皇の死亡である。

3 天皇の生前退位は認められるべきか
  そこで、天皇が生前に退位することは認められるのかが問題となる。この点、清宮四郎著「憲法Ⅰ[第三版]」では以下のように記述されている。「天皇が生前退位することは、わが歴史上はその例があり、イギリスなどでは国王の退位が認められ、立法論としては議論のありうるところで、現に皇室典範制定の際に貴族院で論議されたが、現行法にはなんらの規定もない。立法論としては賛否両論があり、その理由については、いろいろ考えられるが、退位を必要とするような事態が生ずることは予想せられるところであり、そのような場合にはむしろ退位を認めることにしたほうが妥当のように思われる。」(清宮同書163頁)。
 では、この天皇の生前退位についての賛否両論におけるそれぞれの理由はどのようなものであろうか。同じく清宮氏の上げた各々の理由を見てみよう。

[生前退位賛成論の理由]
 ① わが国の歴史をみると譲位が行われた実例がかなりあり、外国でも、イギリスなどで国王の退位が認められている。
 ② 天皇に不治の重患のある場合に退位を認めないのは不合理であり、皇嗣について、同じ理由による継承の順序の変更が認められている(皇室典範第3条)のと比べて均衡を欠く。
 ③ 人間天皇の自由意志は尊重されるべきである。
 ④ 天皇の道徳的意見による退位の途をふさぐことは、国民感情との関係からも好ましくない。
 このうち、①②は同書の本文でも述べられているところである。今年の8月の天皇のお気持ち表明を受けた現在においては、特に③の「人間天皇の自由意志の尊重」という点がより重要性を増すことになると思われる。

[生前退位反対論の理由]
 ① わが歴史上の譲位には、天皇の意志に反して強要によって行われたことがあり、また、譲位後の上皇、法皇が威勢を振ったりしたこともあって、弊害を伴う場合がかなり多かった。
 ② 不治の重患の場合は、摂政によって解決されるべきである。皇嗣の場合との不均衡は、即位の重大性に照らして当然である。
 ③ 退位の自由を認めれば、即位を拒む自由も認めなければならず、両者を認めれば、皇位世襲の原則が実現されなくなるおそれがある。天皇の自由意志も、国家の基本制度としての皇位世襲の原則に優先すべきものではない。
 ④ 道徳的な問題としては、最後まで皇位にあってその責任をはたすべきであるということもかんがえられなければならない。
 ⑤ 象徴としてそれにふさわしい行為のみを担当する天皇の場合は、退位の必要の生ずることは、実際にはほとんどなかろう。
 ⑥ 自由意志による退位、そのような偽装のもとに行われるおそれがあり、また、自由意志による退位を保障する規定を設けることは技術的に困難である。
 ⑦ 法律制定の場合にせよ、具体的の場合にせよ、現在の天皇を前にして、退位をとやかくいうのは好ましいことではない。
 ⑧ もし将来ほんとうに退位を必要とする事態が生じた場合は、そのときに、典範を改正し、または特則を制定して、臨機の措置をとればいい。
※以上、清宮同書163頁以下註書き(二)による。

4 私見
  反対論のいう懸念も理解できるが、なによりも重要なのは、天皇にも人間としての尊厳があり、いかに天皇制という制度の下であっても、その天皇の自由意志をまったく無視することはやはり妥当とは思われない。また、超高齢社会における現在の日本において、天皇であっても高度な認知症などにかかることは十分予想せられ、そのような場合でも退位を認めないことで、ほんとうに「日本国の象徴、日本国民統合の象徴」としての役割を担えるかは甚だ疑問といわざるを得ない。8月の天皇のお気持ち表明もその点を危惧していたのである。
 よって、私は生前退位を認めるべきと考える。そして、その方法は皇室典範改正によるべきと考える。それは憲法の趣旨であり、憲法の正当な解釈であるからである。
  なお、その際最も注意しなればならないことは、憲法の趣旨を踏まえること、天皇の政治利用になってはいけないこと。この2点である。
                                                                      以上

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「改憲」ははたして「国益」に叶うのか?

2016.11.19.11:02

憲法の言葉を紹介して行こうと思う。今回は「憲法改正」に関連して

「国益」という観点から見た場合、はたして「改憲」とすることが「国益」に沿うものかどうかについて、憲法学者の浦部法穂氏が論評している。記述されたのは2007年5月。9年前のものだが、「改憲」の動きが活発となっている正に今こそ当てはまる内容だと思う。

>いま、安全保障について国際社会で共通認識となっているのは、「国家の安全保障から人間の安全保障へ」ということです。これまで、安全保障といえば「国を守る」ということだけが考えられ、すぐに軍事力の問題としてとらえられてきました。しかし、こういう旧来の安全保障の考え方では、たとえば、貧困・飢餓、差別、地球環境の破壊、食糧や水や資源・エネルギーの限界等々、こんにち人々が日常的に直面しているさまざまな脅威から人々を守ることはできません。これらの問題の解決に軍事力はなんの役にも立たないことは明らかです。だから、安全保障ということを、国を守るという観点ではなく、人々の日常生活の安全を保障するという観点で考えなければならない、ということです。そして、実際に、そのための取り組みが国際社会では進められています。軍事力による安全保障という考え方は、いまや時代遅れなのです。これがいまの国際社会の常識であり「現実」なのです。
憲法は現実離れしているなどとよく非難されますが、じつはまったくその逆です。憲法の平和主義の基本的な考え方は、前文の「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」という言葉に表されています。つまり、単に戦争をしないとか軍隊を持たないというのではなく、全世界の人々があらゆる恐怖や欠乏のない状態で生存できる、そういう世界を目指すということです。これは、人間の安全保障という考えと多くの点で一致するものです。ですから、憲法の平和主義はいまの国際社会の現実にまさに合致したもので、この憲法の下で日本が国際的に貢献すべきことはいくらでもあるのです。
軍事力の強化をめざす「改憲」の動きこそ、「国益」にも反するし、なによりも、時代遅れであり世界の現実に背を向けるものだということを、認識しなければならないと思います。<
以上、法学館憲法研究所のサイトより抜粋
全文は同サイトの該当ページをご覧ください。

※浦部法穂氏の略歴 
「浦部 法穂(うらべ のりほ、1946年2月24日 - )は、日本の法学者。神戸大学名誉教授。専門は憲法。
愛知県生まれ。神戸大学副学長、名古屋大学法科大学院教授等を経て、2009年より弁護士。元日本公法学会理事。」(Wikipediaより引用)

「憲法問題」のカテゴリを追加 第1弾は「憲法を守るということ」とは

2016.10.20.16:58

 国会では「憲法調査会」が立ち上がるなど、自民党を中心として「憲法改正」問題が現実味を帯びてきた。そこで、当ブログにおいても、新たに「憲法問題」というカテゴリを立ち上げ、今後憲法について考えてみることとしたい。今回は、このカテゴリでの第1弾となる。

 さて、先日、とある団体から、「憲法と特定行政書士」についての講演を頼まれたので、現在、その原稿作りを始めたところである。あれこれ思案中であり、まとまるにはしばらく時間がかかるのであるが、その作業の中で、以下の浦部法穂教授の文章を思い出したので、これをぜひ入れようかと思っている。
 「ワイマール憲法」を「日本国憲法」に置き換えてみて欲しい。ワイマール憲法と今の日本国憲法の置かれた状況は非常に似かよっているといえるのではなかろうか。2005年5月発刊の書籍であるが、2016年の現在でも十分、いや当時よりさらに通用する状況になっているかも知れない。
 以下、長文となるが、紹介しておきたい。

■神戸大学名誉教授浦部法穂氏著「憲法の本」 終章 「憲法を守るということ」より

 「憲法を守るということ」 

 「1919年、第1次世界大戦に敗れたドイツでは、帝政が廃止され『ドイツ共和国』が誕生した。そのドイツ共和国の憲法が、いわゆるワイマール憲法である。ワイマール憲法は、いまでも現代的な憲法の模範例として憲法学で言及されることが多い憲法である。しかし、この模範的な憲法をもっていたドイツで、ワイマール憲法制定からわずか10年数年後の1933年に、ヒトラーが政権の座についた。ヒトラーは、決して、革命やクーデターといった暴力的な手段で政権を取ったわけではない。その率いる『国家社会主義労働者党』つまりナチス党は、国民の支持を集めて議会の多数派になり、ヒトラーが首相に任命されたのである。いわば、まったく民主的な手続きにのっとって、ヒトラーは政権を握ったわけである。ナチスの独裁体制は、まさしく、ワイマール民主主義の結果であった。もちろん、この背景には、当時のドイツがおかれた非常に厳しい状況があった。第1次世界大戦の敗戦国として、ドイツは、ヴェルサイユ条約で過酷な条件を押し付けられ、国内的にも、社会的・経済的に混乱をきわめていた。そして、1929年から30年にかけて勃発した世界大恐慌がドイツ経済を直撃し、その混乱に拍車をかけた。そのため、当時のドイツ国民のあいだには、ベルサイユ条約を押し付けた諸国に対する不満・怨念や経済的な不安が渦巻いていた。そういうなかで、ヒトラーが、ドイツ民族の優秀性やドイツにとっての正義を唱え、自分だけがドイツを再び強国にすることができると訴えかけて、国民の支持を集めていったのである。
 ドイツは、一体なぜ、あの模範的な憲法をもちながら、ナチスの台頭を許してしまったのであろうか。社会的な背景があったにしても、当時のドイツ国民が、ワイマール憲法を、本当に自分たちのものとして大事にしていたならば、歴史は大きく違ったものになっていたのではなかろうか。ワイマール憲法に対して、当時の多くのドイツ国民は、役に立たないとか、そもそもドイツ的ではなくドイツにふさわしくない、という意識をもっていたといわれている。ワイマール憲法は、当時のドイツ国内や国際的な状況に大きく影響されてきた憲法であった。一方では、社会主義勢力が台頭してきており、目の前ではロシア革命が成功しようとしていた。他方では、帝政時代の権威主義的支配体制になおも親近感をもつ保守派の勢力も強かった。そういうなかで、『中道左派』連合が妥協の産物としてつくったのが、ワイマール憲法だったのである。そのため、ワイマール憲法は、当初から、左右どちらにも強力な反対派を抱えており、1920年以降は、この左右の反対派が議会の過半数を占めることとなった。実際の政治の場では、憲法は敵視されたのである。だから、国民の目に、憲法は役に立たない、ドイツ的ではない、と映るのは、当然のことであった。政治の場で憲法が敵視されるような状況、あるいは、憲法は役に立たないという意識を国民がもっているような状況、そういうもとでの民主主義というものはきわめて危うく脆いものだということを、このワイマール憲法の歴史は教えてくれている。
 ワイマール体制がナチスの独裁体制に移っていったこの過程は、いまの日本国憲法が置かれている状況に、なにやら非常によく似かよってはいないだろうか。《民主主義だから大丈夫、まさかファシズムの再来なんてありえない》と高をくくっていると、知らない間に気がついたらファシズム体制になっていた、『民主主義が民主主義を滅ぼす』結果になっていた、ということにもなりかねないのである。そいういうことにならないためには、なによりも、一人ひとりが憲法の意味を正しくとらえ、それを自分たちのものとして、憲法を無視したり敵視したりするような政治を拒否する姿勢を貫くことが、必要であろう。」
(浦部法穂著「憲法の本」(2005年5月25日)共栄書房・「終章」 177頁~179頁)
プロフィール

橋本俊雄

Author:橋本俊雄
ようこそ「行政書士法務相談室」へ!
三重県四日市市の特定行政書士・マンション管理士です。遺言・相続、契約、離婚手続などの民事法務と中小企業経営支援、マンション管理組合支援を柱に業務を行っています。
法律関係の話題と日々の思いを綴ってゆきます。
どうぞよろしくお願いします。

橋本行政書士事務所所長
特定行政書士、マンション管理士
TEL 059-355-1981

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